映画『国宝』の観客数が、邦画実写歴代興行収入1位に迫る勢いを見せている。
歌舞伎界にも大きな影響を及ぼし、リアルな人間国宝である片岡仁左衛門さんや坂東玉三郎さんの公演は早々にチケットが完売。松竹は、映画の歌舞伎シーンに関連したシネマ歌舞伎の特別上演や、25歳以下を対象に当日券を半額で販売する施策を打ち出した。
しかし、映画は原作小説ほどの深い余韻を私には残さなかった。
あまりに絶賛する人が多いため、「自分の感性がおかしいのだろうか」と思い、その理由を考え続けていた。
そんな折、玉三郎さんがトークショーで「稽古は強かれ、情識はなかれ」という世阿弥の言葉を座右の銘としていると語られた。
この言葉は、稽古を通じて技を極めつつも、情識=自我や雑念を廃して芸そのものに身を委ねることを意味する。
玉三郎さんの舞台を観るたびに、その言葉が体現されていることを実感し、心を奪われる。所作や台詞に宿る魂が観客の心を揺さぶり、幸せな時間をもたらしてくれるのだ。
映画『国宝』は、歌舞伎の美しさや精神性をビジュアルでとらえていた。舞台の再現や衣裳の華やかさ、俳優の舞踊や演技はきわめて魅力的だった。
しかし、物語の中心に流れる「血筋と才能」というテーマは、私にはどうもしっくりこなかった。
映画では、主人公が悪魔に魂を売ってでも芸を磨こうとする。そこにあるのは強い自我である。
けれども、私が知る歌舞伎役者たちは、芸の伝承のために、自我や雑念を廃して芸そのものに身を委ねている。
その一点こそが、私が『国宝』に深く惹かれなかった理由かもしれない。
玉三郎さんが「自分の目指したい魂は後退しない」と語っていたことを思い出す。
映画のおかげで歌舞伎座に足を運ぶ人が増えた。
この波が歌舞伎の未来をどう彩るのか──へそ曲がりな私も、それを楽しみに見守りたいと思う。