マスコミが連日、旧J事務所の報道で騒ぎ立てている間に、始まってしまいましたインボイス制度。経理担当としては、作業は煩雑化するわ消費税の納付額は増える(であろう)わで、ストレスフル。ネガティブな発言しか出なさそうなので全く関係のない話を。

今月になってミュージシャンの訃報が続きました。中でも57歳ボーカリストの急逝は個人的にとても衝撃でした。

SNSでは関係者やフアンの皆さんがたくさんのコメントを寄せていましたが、その中でジャンルの異なる同業者の寄せた文章が、そこはかとなく悲しくて良いコメントだなと思って読みました。

それは、飲みの会で同席した際の故人のスマートな振る舞いに触れ、続けて『そんなに深く掘り下げて聴いていたわけではありませんでしたが、好きな曲が数曲ありました。なんとなく応援していたバンドのシンガーでした。』とつづけ、ご冥福をお祈りしますと結んでいます。

深い関りがあったわけではなく特別ファンだったわけではない者も悲しみと喪失を感じている、と伝えています。共感しました。

ところが、このコメントに批判が集まりこの同業者は謝罪のコメントを出すことになります。

どうやら『深く掘り下げて聴いていたわけではない』といちいち言う必要がないとか、『なんとなく応援していた』程度ならコメントする必要がない、といった事の様です。

なるほど。

言葉は、受け取り側の解釈や印象で、発した側が何を発したかが決まってしまいます。

『情報』を発信伝達する際、ネガティブチェックなどで誤解を招かない表現を心掛けなければなりませんが、『心情』を発信する際も、発信する先が不特定多数の場合は、内容自体のネガティブチェックが必要なのかもしれません。

しかしそれでは、ややもすると当たり障りのない表面的な言葉の羅列になってしまいそうです。

以前、ご本人も作品が何本も映画化された人気作家が『1億人が泣いた』作品は、人の心の浅い部分、大多数が共鳴する部分が描かれているのであり、心を掘り下げたら人それぞれ。自分は1億人中の10人に伝わればそれでよいと思って書いている。と話されていました。素晴らしい自信と勇気です。

アラヤは小説ではなく『情報』の伝達をお手伝いします。しかしその『情報』には発信者側の『心情』も込められてるはずです。正確な『情報』と意図した『心情』を全ての受信者にお伝えするのがアラヤの仕事です。