最近、時代小説を読み漁っています。
今手に取っているのは、上田秀人さんの『日雇い浪人生活録』という作品です。この本では、かつての「戦うエリート」だった武士たちが、平和な江戸時代にどう日々の暮らしを凌いでいたかが描かれているのですが、これが現代の私たちにも通じるものがあって、考えさせられるんです。

戦がなくなった江戸時代、職を失い、生活に困る「浪人」へと身を落とす武士は少なくありませんでした。彼らは何でも屋のような仕事で食いつなごうとするのですが、そこで足枷となるのが「武士の矜持(きょうじ)」、つまり武士としての誇りです。町人に頭を下げて雇われることに抵抗を感じ、力仕事に甘んじながらも、態度は尊大なまま。そんな不器用で矛盾した多くの武士の姿が、印象的に描かれています。

対照的なのが、この小説の主人公です。彼は生まれながらの浪人ゆえに、いわゆる「武士のルール」にあまり縛られていません。日雇いの仕事を淡々とこなし、武士の嗜みである剣術さえ、お世辞にも達者とは言えません。
しかし、彼には他人には見えない、ひょっとしたら自分自身にも見えていない「芯」があるのです。

世の中が「戦国」から「太平」へと劇的に変わった時、多くの武士はマインドセットを切り替えられず、過去の身分意識という呪縛に苦しんでいました。一方で、その呪縛から解き放たれ、道徳的な支えまでも失った者は、成れの果て、悪に手を染めてしまいます。

これは決して遠い昔の話ではないと感じます。現代の子供たちが大人になる頃、AIの台頭によって多くの職業が消え、誰も想像し得ない新しい仕事が生まれているでしょう。そんな未来に、かつての浪人と同じように、変化に対応できず、過去の成功体験や誇りに執着して取り残される「現代の浪人」が溢れるかもしれません。

今、私たちに求められているのは、過去の形式に固執する「プライド」ではない気がします。他人にどう見られるかを気にするのがプライドであり、自分自身の信念と美学に基づいて己を律するのが「矜持」。

変わりゆく時代の波を柔軟に捉え、自らをアップデートし続ける「生き抜くための矜持」。この誇りをどこに向けるか。それが、新しい時代を活き活きと歩む者と、取り残される者との分かれ道になるのかもしれません。

みなさんは、どんな「自分なりの矜持」を大切にしていきたいですか?