~江戸・平安、そして縄文に遡る歴史の街~
Back to the prehistoric era, beyond Edo and Heian

私は、12年間アラヤサッポロに勤務をしておりまして、今年の1月から東京に戻り、本社オフィスで働くようになりました。オフィスへは、東急目黒線の不動前という駅から通っています。駅は、目黒不動尊の参道に通じているから「不動前」というのは以前から知ってはいました。しかし、その不動尊の実態については、よく知らないでいました。
近くで働いているのになにも知らないということに、どこか落ち着かぬ心持がしていたところ、ブログへの投稿の話があり、そうだこの機会に目黒不動尊について書いてみようと思い、原稿を書き始めました。ブログにしては、やや長くなりそうなので、前編・後編と2回に分けて投稿しようと思います。

国立国会図書館が一般公開しているデジタルコレクション「錦絵と写真でめぐる日本の名所」に、広重(1797~1858)作、錦絵・「江戸名所 目黒不動尊」というのがあります。

出展:国立国会図書館デジタルコレクション
「江戸名所」目黒不動尊 広重
https://dl.ndl.go.jp/pid/1303552

「目黒不動尊」(正式には「泰叡山 瀧泉寺」)は、天台宗の古刹で、アラヤの事務所から10分程度歩いたところにあり、地元商店街の人々には親しみをこめて「お不動さん」と呼ばれており、東急目黒線の「不動前」駅から通う私達は、シンプルに「目黒不動」と呼んでいます。目黒不動は、日本三大不動(註1)の一つで、関東最古の「不動霊場」です。
さて、我が街の目黒不動とは、いったいどのようなお寺でしょう。その成り立ちを、開基から錦絵の江戸期まで、寺の縁起(註2)を参照しながら、確認をしてみようと思います。

今から遡ること1200有余年、西暦808年(大同3年平城天皇の時代)慈覚大師・円仁(後の天台座主第三祖)によって開基されました。15歳の慈覚大師が、故郷の下野国(今の栃木県)から比叡山延暦寺の最澄のもとへ向かう途中、この地に投宿。その夜の夢中、不動明王の天啓があり、「夢醒めた後不動明王の尊容を黙想し自ら、像を彫刻して安置したのが創り」といいます。その後、延暦寺に入り最澄の弟子となった大師は、唐への留学を果たし、帰朝後に本堂を建立したとのこと。棟札に「大聖不動明王心身安養咒(註3)願成就瀧泉長久」としたため、この「瀧泉」をもって寺号とし、山号(註4)は清和天皇(850~881)の御代の貞観二年(860年)、「泰叡」の勅額を賜り、「泰叡山」と称し、現在に引き継がれています。

弘治3年(1557年)に堂塔の修理造営が行われましたが、元和元年(1615年)に火災のため、本尊と本尊所持の天国の宝剣以外はほとんど焼失してしまいました(註5)。しかし、その後、徳川三代将軍家光の帰依があり、目黒不動は、一気に復興、繁栄をします。「(家光の庇護のもと)諸堂末寺等併せて五十三棟に及ぶ大伽藍の復興を成し遂げ、その伽藍は「目黒御殿」と称されるほど華麗を極めました。家光公の篤い庇護には、鷹狩が一役買っていたようです。縁起にはこうあります。「(公の)愛鷹が行方知れずになり自ら不動尊の前に額ずき祈願を籠めました。すると忽ち鷹が本堂前の松樹(鷹居の松)に飛び帰ってきたので家光公はその威力を尊信」しました。このエピソード、真偽はともかく、家光公の不動尊への思い入れの程がうかがえて面白いです。「鷹居の松」は、今でも本尊に登る男坂入口に見ることができます。(写真1、2)。
こうして目黒不動は、「五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)のひとつとして江戸城守護、江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護に当てられ、江戸随一の名所」となったのです。

(写真1)
中央の階段(男坂)を登りきったところに本堂がある。階段上の樹木の間に見える鳥居の向こうに赤く見えているのが本堂。坂の登り口右手に一本立っている松の木が「鷹居の松」。
(写真2) 本堂

(次回の後編へつづく)

=================================(註1)三大不動:目黒不動尊、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊。
(註2)目黒不動尊縁起https://megurofudo.jp/megurohudousyoukaipage.html.htm
(註3)咒:音読み「ジュ」、訓読みは「まじなう」(goo辞書)
https://dictionary.goo.ne.jp/srch/all/%E5%92%92/m0u/
(註4)山号:寺院の名前の上に付ける称号。「比叡山(延暦寺)」「成田山(新勝寺)」などの類。(goo辞書)
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B1%B1%E5%8F%B7/
(註5)目黒区公式ウェブサイト:歴史を訪ねて「目黒不動(龍泉寺)」。弘治3年の修理・造成、元和元年の火災については、目黒区のウェブサイトを参照した。
https://www.city.meguro.tokyo.jp/shougaigakushuu/bunkasports/rekishibunkazai/megurofudo.html#p1