~江戸・平安、そして縄文に遡る歴史の街~
Back to the prehistoric era, beyond Edo and Heian

我が街「不動前」の後編です。

前編では、目黒不動の開基と、その後の徳川三代将軍家光の帰依による復興と繁栄を見てきました。後編では、広重の錦絵に立ちかえり、もう一歩踏み込んで目黒不動を見ていこうと思います。

出展:国立国会図書館デジタルコレクション
「江戸名所」目黒不動尊 広重
https://dl.ndl.go.jp/pid/1303552

「江戸随一の名所」、目黒不動(前編参照)。その名所を活写したのが、広重の錦絵です。
絵の中の、参道を行き交う着飾った町人やお侍の様子に、参詣行楽の様子がうかがえます。一方で、絵の対角線(右上から左下に向かう)の左半分上部には、参道の華やいだ雰囲気とは異質の要素があるのがとても気になります。池の部分です。二筋の瀧の流れがそこにあります。水垢離にやってきた三人の人物には、参道の人々とは対照的な、やや重苦しい空気が漂っています。特に、瀧水に強く打たれている左側の人物からは、厳しい緊張感が伝わってきます。
ここは、「独鈷(とっこ)の瀧」といわれ、縁起には「(慈覚大師が)堂宇建立の敷地を定めるに当たり、大師が所持の法具『独鈷』(註1)を投じた」ところ、そこからたちまち瀧水が湧出して「数十日間の炎天旱魃が続いても涸れることなく、不動行者の洗心浄魂の場として、今日に至るまで滔々と漲り落ちています」と書かれています。
ここで言う「今日」とは現代のことですが、慈覚大師が独鈷を投じたおよそ1000年後の広重の時代にも瀧は流れ続け、人々に「洗心浄魂の場」を提供し、そして今なお「滔々と漲り落ちて」いるということです。
この6月、梅雨入り前の蒸し暑い日に独鈷の瀧を訪れました(写真1)。「瀧」には、錦絵に登場しているように、涼気な音とともに二筋の瀧水が「滔々と」流れ落ちていました。

(写真1)
独鈷の瀧、左右2つの龍の口から瀧水は
流れ落ち続けていた。

「瀧」は縁起にあるように1200有余年もの間、本当に涸れたことがなかったのでしょうか。誰しもがそのような疑問を抱くことでしょう(註2)。
しかし、錦絵と出会った私達が押さえるべきは、「瀧」が湧出以来およそ1000年経っても江戸の人々の魂をしっかり捉え、「洗心浄魂の場」提供していたということ。そして同時に、「瀧」を内に包みこむ不動尊全体が、人々の心をとりこにし、行楽の場でもあったという事実ではないでしょうか。そこには、「今日に至るまで滔々と流れる」歴史の深さがあるということだと思います。

広重の錦絵に触発され、寺の縁起を参照し、目黒不動の成り立ちに少し近づくことができました。しかし、縁起にはまだ注目すべき一行、「境内裏山一帯は『目黒不動遺跡』として縄文・弥生時代の住居跡、土器等が、発見されています」が残っていました。
「目黒不動遺跡」について、目黒区の公式ウェブサイト(註3)には次のように解説されています。
「(本堂の裏山一帯で、)縄文時代と弥生時代の竪穴住居跡や土器などが発見されています。縄文時代中期(約5000年前)の竪穴住居跡は18軒発見されています。このうち、区立不動公園(註4)で発見された竪穴住居跡は、調査したのちにそのままの状態で埋め戻しています。また、この遺跡から出土した、まじないに使われたと考えられる土版(どばん)は、都内最古級の資料として注目されています」。
目黒区の文化財係の方に電話でお聞きしたところ、公式ウェブサイト上の報告は1983年のものだが、遺跡はそれ以降今に至るまで発見されることがあり、調査は発見の都度行われているとのことでした(註5)。

平安の時代に開基され、江戸の時代に「江戸随一の名所」として栄えた「目黒不動尊」は、縄文遺跡の上に構えられていたのです。これは、とても興味深い情報です。この土地では、祭祀を含む文化的な文脈が古人(いにしえびと)から今もなお受け継がれている、ということに違いありません。

地域の継続的な歴史の深さを改めて実感し、今日から「お不動さん」と呼ぶことにしました。

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(註1)「独鈷(とっこ)」:密教で用いる法具、金剛杵 (こんごうしょ) の一種。鉄製または銅製で、両端がとがった短い棒状のもの。(goo辞書)
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%8B%AC%E9%88%B7/
(註2)Wikipedia「瀧泉寺」に、「(独鈷の瀧は、)「天保年間の時点で、1年ほど枯れたことがあったという」とありました。この一行も興味深く、探求心がそそられます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E6%B3%89%E5%AF%BA#cite_note-FOOTNOTE%E6%B1%9F%E6%88%B8%E5%90%8D%E6%89%80%E5%9B%B3%E4%BC%9A1927106%E2%80%93107-4
(註3)目黒区公式ウェブサイト:目黒不動遺跡
https://www.city.meguro.tokyo.jp/shougaigakushuu/bunkasports/rekishibunkazai/megurofudou.html#p2
(註4)境内裏山に隣接した公園。
(註5)目黒区 生涯学習課 文化財係の方によると、遺跡の遺構は、ウェブサイトにもあるように、調査した後、埋め戻しているとのことでした。遺跡群一帯は宅地であり、遺構として残すことはできないとのこと。住宅などの新築工事による掘り起しの際、今でも遺跡が発見されることがあり、直近では2024年2月に本堂裏山近くで発見されているとお聞きしました。出土の土器や遺構の写真などは、中目黒にあるめぐろ歴史資料館にあるとのことです。