今さらですが、文章を書くのは難しいと実感しています。

昨年より在宅での勤務が増え、社内のメンバーとチャットでコミュニケーションすることが多くなりました。

私は、そそっかしい性格のため、あまり読み返すことなくEnterキーを押してしまい、誤字脱字や誤変換など、文章校正が不十分なまま相手に送信してしまうことがよくあります。

送信したあと、自分で読み返しても、主語がなかったり、話が入り乱れていたり、何を言っているのか大変わかりにくいこともあります。「何が言いたいのだろう」と相手に気をもませる場面も多々あるかと想像しては、反省する日々です。

同時に、これまでは自分がどれだけ、手振りや身振り、声のトーンや抑揚という言葉や文章以外の要素と相手の気遣いに支えられていたかを痛感しています。

さらに、私がチャットのコミュニケーションで思うのは、相手の反応を肌で感じることができないということです。

対面でのコミュニケーションであれば、相手の話し方や声のトーンや顔色で、本当に納得してもらえたか、そうでないかはある程度判断できました。しかし、例えばチャットの「はい」の一言だけでは、なかなか判断がつきません。さらにその「はい」がかなり時間を経て返信されてきた時などは、これはどういうことだろうか…と思い悩みます。やはり、対面で話すほうがストレスはありません。

しかし、新しい働き方として、今後もリモートワークを継続するにあたり、テキストコミュニケーションに慣れていく必要があります。

文章の読み手に負担をかけることのないよう、できるだけ簡潔に、漏れなく、重複なく、相手が理解しやすい展開で進める。

そう考えると、これはチャットという日常の話ではありますが、アラヤがマニュアルライティングのベースとしている「情報デザイン」と同じではないか!と思うのです。

これまで、ビジネスでのコミュニケーションでは、「~」「!」「・・・」ましてや「www」などという表記はなるべく使わないようにしてきました。

しかし、この情報デザインという観点から、肌感覚を伝える手段として「よろしくお願いします」を「よろしくお願いしま~す」と表記したり、「はい」を「はい!」と表記したりすることは大切なのかもしれないと思うようになりました。

「よろしくお願いしま~す」にすれば、事務的なきつい口調ではなく、「お願~い、なんとか助けて」という気持ちが届きますし、「はい!」という返事がくれば、「合点承知しました、喜んでやりますよ!」という声が聞こえてきそうです。言葉以外の情報をテキスト化するという意味では、これも情報デザインですね。

これまで私たちは「情報デザイン」という言葉を知らないまま、実際はちゃんと触れてきています。

子供の頃、国語で長文を読んで要約したり、課題図書を読んで感想文を書いたり、作文を書いたりしたのも、情報デザインの学習だったのではないでしょうか。

高校の現代国語の期末試験で、安部公房の『砂の女』の砂の穴の底にある家の描写を読んで、俯瞰で絵を描けという問題が出たことを今でも鮮明に覚えています。これは、文章から絵にするという情報の整理であり、あまり日常では取り組んだことがなかったので、インパクトが大きかったのだと思います。

また、大学時代は美術史を学んでいた関係で、絵画や文様を文章で表現することが求められました。情報を分析して、整理、文章化するという点で、これも情報デザインと言えるかもしれません(私は文章力が足りず、挫折してしまったのは苦い思い出です)。

こんな単純なパターンでも文章で表現するとなると難しいものです。

いろいろ思い返してみると、「情報デザイン」は私たちの身近なものであり、「伝える」ことのベースとなっていることに気付かされます。

マニュアルのライティングでは、機能・操作・安全性などを、文章やレイアウト、図、表などを用いて再構築し、ユーザーに使いやすさや企業に対する信頼感をもたらすことができます。 チャットでは、指示や連絡、相談を文章で正確に伝え、できれば肌感覚も一緒に伝えられれば、円滑なコミュニケーションをもたらすことができるのではないかと思いつつ、日々の業務にあたっています。