先日、長唄*の演奏家である友人のライブに行った。
場所が原宿だったのと、ライブに一人で行く勇気がなかったので、前職の歌舞伎好きな後輩に付き添ってもらった。

*長唄とは、十八世紀初めごろに歌舞伎の音楽として成立し、主に江戸で発展してきた三味線音楽。十九世紀に入ると、歌舞伎から独立して純粋に音楽としても作曲・演奏されるようになる。三味線、唄、囃子(能管/篠笛・小鼓・大鼓・太鼓)が一緒に舞台で演奏されるのが長唄の大きな特徴。

友人は唄を担当する唄方で、ボーカル担当といったところ。三味線方・お囃子方の楽器担当5名と唄方1名の6名のグループ。
20年前から青山や赤坂のライブハウスで定期的にライブを開き、長唄や邦楽の素晴らしさを発信し続けている。

今回は、コロナ後初めての開催。
長唄は一曲がとても長~い(平均で15~20分程度)ため、初めての人が飽きないよう、曲の途中で解説をいれたり、関連する浮世絵の画像を映し出したり、演奏者のMCをいれたりと、いろいろな工夫をした楽しいライブだった。間近で聴く和楽器や唄は大迫力で、華やかな着物も目に嬉しい。

そして、一番の感動は、このグループの立三味線の御父上、御年88歳の人間国宝 鳥羽屋里長さんの独吟。
里長先生は、長きにわたり歌舞伎座の立唄をされており、歌舞伎座に出演されれば大向こうがかかることも少なくない。ただ、ご高齢で体調を崩されたこともあり、ここしばらく舞台では演奏をされていなかった。
今回のライブで公の舞台は最後にされるということで、ゲストとして「木賊刈り(とくさかり)」という10分以上ある曲を独吟された。

昔のような伸びのある大きな声は出ない、息も続かない。それでも、豊潤で深みのある唄声や纏った空気が舞台から客席へ流れ出した。誰一人、音を立てることなく、唄と同時に、里長先生がこれまで積み重ねてきた時間や想いを聴いているように思った。とても満たされた幸せな気持ち。隣の席で後輩が泣いており、拍手は鳴りやまなかった。芸を極めるということはこういうことなんだろう。

自分もずいぶん長く社会人として過ごしたけれど、重ねた時や大切にしてきた想いは蓄積されているだろうか。人間国宝と比べるのはおこがましいけれど。
うるさいと思われるかもしれないが、私が少しだけ積み重ねたもの(あるといいけど)を、後輩たちに伝えられといいなあと思いつつ、今日も頑張って出しゃばってみようと思う。